【内政】 ローマ帝国「兵士達に40kgの荷物を持たせて、兵站線を短くして軍事チート!」 紀元前1世紀

24 件のコメント :

公開日: 2015年6月11日木曜日 イタリアの歴史 管理人の文章 紀元前 統治・内政物のテンプレ 兵器





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紀元前1世紀のローマ帝国

カエサル(´・ω・`)ガリアは三つの土地に分かれている!(物語冒頭)
多数の蛮族が住んでいて討伐が大変だ!
だから兵士たちに40kgの荷物を持たせる事にした!
投げ槍、食料などを持たせて強行軍させて軍事チート!

マリウス(´・ω・`)この方法は俺が考えた!
名づけてマリウスの輜重!
軍の弱点となる兵站線が短くなる凄い戦術なのだ!



カエサル(´・ω・`)現地の蛮族を味方にして、食料を供出させてローマ帝国の驚異になる蛮族を討伐!
ジャンル別 軍事チート  ローマ帝国の歴史 紀元前1世紀●ガリア戦記

ローマ帝国「兵士達に40kgの荷物を持たせて、兵站線を短くして軍事チート!」 紀元前1世紀
  2015/6/11

ユリアン(´・ω・`)提督、紀元前に書かれたカエサルのガリア戦記(ノンフィクション作品)を読んだんですが・・・・大量の荷物を持たせる事そのものが画期的な軍事チート扱いでした。


ヤン(´・ω・`)なんて脳筋な発想。
確かにそうすれば兵站線短くなる事は確かだね・・・


銀河英雄伝説のキャラ☝

(´・ω・`)ガリア戦記を読んでいたら、敵軍が近づいて白兵戦仕掛けてきたから、投げ槍をその場に捨てて、代わりに剣を抜いて戦ったりと、おま、投げ槍の方がリーチあって便利だろ!ってツッコミたくなった。
兵士に40kgの荷物を持たせて遠征やらせる時点で、兵士達からの信頼がないと出来ないやり方だわ・・・



ガイウス・マリウス

逸話[編集]
一兵卒からの叩き上げであるマリウスは将軍になってからも他の将軍達の様に豪勢な食事は取らず、兵士と同じ食事を取った。
また戦場では兵の先頭に立って白兵戦を敵に挑み、剣を振るって兵を激励した。こうした姿勢から兵士達からの人望は常に篤かったという[71]。
ギリシャ文化を軽蔑していた事で知られ、マリウスの為に有力者がギリシャ詩劇の特等席を捧げたが、マリウスは一瞥もせずに帰ったという[72]。
私財の蓄財や放蕩な生活にはさほど興味を持たず、あくまで栄光と戦争に野心を燃やした人物であった。晩年に後継を指名する時ですら、「70年の生涯で7度執政官となり、幾度も戦争に勝ち、蛮族を破った。…だが何ら満足はしていない。」と呟いたという[73]。
ガイウス・ユリウス・カエサル

人物
カエサルが元老院議員として初めて表舞台に出た頃の評価は、「借金王」や「ハゲの女たらし」と言ったものであった。事実、借金は天文学的でとてつもない金額であった。紀元前61年春に、プロプラトエルとしてヒスパニアへ赴く前、カエサルが高飛びすることを恐れて出発を妨げたため、カエサルは、最大の債権者クラッススに泣きつき、債務保証をしてもらい、ようやく任地に出発できた[44]。もっとも、借金の額があまりにも大きく、カエサルに死なれでもしたら債権者たちは大損となってしまうため、カエサルと彼らとの力関係は、非常に微妙なものだったとも言われる[45]。「ハゲの女たらし」(羅: moechus calvus)と言われることを受け入れていたことは、カエサルの寛容さを説明する際に引き合いに出される。
また、カエサル自身が総督として赴任したヒスパニアで現地の部族より金を無心したり、ガリアで現地部族が奉納している神殿や聖域にあった宝飾物を強奪したり、金目当てで街を破壊して回ったりということもあった。また、ローマでもカピトリヌスの神殿に奉納していた金塊を盗み、同重量の金メッキをした銅を戻したり[46]、内戦中は護民官の制止を振り切って神殿の財貨を強奪したとした[47]と伝わっている。
カエサルは、背が高く引き締まった体をしていたが、当時の美男子の条件である「細身、女と見紛うほどの優男」には当てはまらなかった、また、頭髪が薄いことを政敵から攻撃されたため、はげた部分を隠すのに苦労していた。このため、内戦を終結させた業績を認められたことにより、いつ、どこでも月桂冠を被る特権を与えられたときは、大変喜んだという。なお、当時のカエサルが前髪の薄さを隠すためにしていた髪型は、シーザーカット(英語版)(カエサルカット)と呼ばれており、ヨーロッパでは古くから典型的な男性の髪型の一種となっている。また、てんかんの症状があったとも伝わっている[48]。

24 件のコメント :

  1. 蛮族(´・ω・`)俺達は村と街を燃やして帰る場所をなくして、味方を死兵にして軍事チート!

    ローマ帝国(´・ω・`)たくさんの荷物を持たせて軍事チート!残りの物資は現地調達!

    (´・ω・`)これが現実。

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  2. 木牛使えよww
    元祖知識チートの諸葛亮孔明が発明した輸送チートだぞ。

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    1. (´・ω・`)き、紀元前のローマ帝国の話だから、3世紀の諸葛亮孔明の輸送チートを先取りしたら歴史改変になっちゃうっ・・・!

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    2. 今更だがチートでもなんでもないですがねー、その当時に出来る軍事的アイディアを実行しただけでチートってのもなぁ……。

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    3. つコロンブスの卵

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    4. 嫌まぁチートという言葉が散々使われてデフレをおこしているような印象があるからちょっと言ってみたんだけどね、チート云々言うなら戦術それ自体よりもその逆転的なアイディアを提出した人間の発想力自体がチートじゃないかなと思う今日このごろ。

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    5. 孔明先生って、演戯で盛られてるから勘違いしそうになるけど首都を飢餓地獄にしたり内政や軍政は(民が)死ぬほどヘタクソだったぞ
      当然そればっかりじゃなくってたまに大成功もしてるから人気なんだけど

      肝心の木牛だけど、それが輸送チートだったら2回も食糧不足で負けてないし、最終的には輸送諦めて兵士が前線近くで畑耕してないよ

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    6. それ含めて知識チートっぽいような。

      木牛が投入されたのは第四次北伐からで、補給路が長雨で崩落したため、補給が切れたそうな。
      まあ絶対の勝利を与えるものじゃないけど、輸送能力の向上を図るためのチートといえんじゃね?
      まあこの程度でチートいうなというならわかるけど、
      ただ、兵士に40kg持たせるのと比べるとね・・・

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    7. いや、木牛流馬ってそもそも輸送能力向上しなかったって話だぞ
      復元されたものに記述どおりの重量を積むと一雨降ろうものなら自重で道にめり込む欠陥品

      そもそもの話、有用だったら北伐失敗後でも別に利用した形跡くらい残ってるもんよ

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    8. 牛がいねえから人にクソでかい荷車や手押し車引かせるのが知識チートとは認めがたい。
      あと一年分の糧食積んで日に20里進む(予測されるのは人力)と記述されてるので兵士に40キロ持たせる方がマシだと思う。

      ちなみに現代の兵士の装備重量は30~80キロらしい。

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    9. さすがに80kg担いで行軍は非現実的じゃないの?
      バキの板垣が描いた実録自衛隊漫画では40kg弱程度の装備で富士山麓行軍訓練してたが
      「今目の前に神様が現れて『死んだ最愛の人を生き返らせるのともう歩かなくていいのとどっちがいい?』
      と言われてももう歩きたくない」とまで言わしめるキツさらしい。

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    10. これが現実
      ttps://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=w846UcmIo5o

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    11. あ、バキの作者が自衛隊にいた時代より装備は重くなってるんですよ。
      ttp://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/141018/lif14101808190002-n1.html

      アフガンやイラクでの戦訓を取り入れた結果、年々装備の重量が増している。
      兵士を鍛え上げることで何とかしてたけど、さすがに限度があるって事で日本も27年度からパワードスーツ研究に防衛費から9億計上される。


      なんか同時期に韓国もアイアンマンみたいなの作るって言い出したけど。

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    12. けど、ヨーロッパじゃ11世紀ごろになるまで一輪車はなかったぞ?
      その後も中国じゃ補給部隊で使われてたみたいだし。

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    13. ローマ帝国(´・ω・`)道の起伏無視して、都市間を一直線につないで歩兵を歩かせて運用していたから、商業に向いてない道なのだ。

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    14. 木牛がその後も輸送に使われている?
      初耳だわ。

      早期に廃れて正史の記述に残ってるのが頼りみたいなもんなのに。

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    15. 使われてるのは、木牛の正体といわれる一輪車ね。
      木牛という名前では使われてないっぽい。
      まあ、木牛が一輪車でないのなら、使われてないということになるけど。
      というか一輪車の種類が多すぎてどれが木牛といわれたか判然としない・・・

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  3. ローマ帝国は混戦の際、タワーシールドとグラディウスを持って突っ込むのが主流だったのだそうな。
    槍は混戦には向かず、戦いの締めに古参兵が使ってたそうです。

    もしくは投槍は投槍でもヴェリトゥムみたいな小さな物だったのかもね。

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    1. (´・ω・`)なるほど、確かに蛮族側もそんな装備だったわ。

      ローマ帝国(´・ω・`)俺のターン!投げ槍で、盾を刺して使用不可能にする!
      この投げやりは一度刺さったら抜けないぞ!

      蛮族(´・ω・`)く!こうなったら重くなった盾を捨てて白兵戦だ!

      ローマ帝国(´・ω・`)盾のない蛮族相手に剣で白兵戦!
      こっちは訓練しまくってるから、超強いんだよ!

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    2. 投槍って物によるけど基本的には投げる事に特化してるだろうし、重心の位置がズレてて戦いにくいんじゃないの?
      ローマ軍の投槍(ピルムだっけ?)は盾に突き刺さる事取り回しを悪くさせて近接戦闘を有利にするのが目的で、敵に利用されないようにわざと曲がるように作られていたとか聞いたことがあるんだが

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    3. (´・ω・`)確かにガリア戦記でもそのような事が書かれていた。
      しかし、なんて勿体無い投擲武器の使い方・・・・

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    4. ローマの投槍は中折れ式の形状をしていて、木釘が直線を保つように差し込まれている。
      敵に投げつけ、受け止められると応力で木釘が折れて、2つに折れ曲がった状態になる。
      会戦後、槍を回収して木釘を差し込み直せば、再使用できるようになる。
      敵に投げ返さりたり、再使用させないための工夫である。

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    5. (´・ω・`)なるほど、つまり蛮族の持つ大盾対策用の嫌がらせ武器『投げ槍』という訳か。


      http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14118059539

      話を軍団兵に戻します。彼らが使う槍は折れやすく、現在考証されているところでは蛮族の使う大盾対策だったのだろうと言われています。つまり、ガリア・ゲルマン人の防備は鎧ではなく、肩ほどもある大盾によるものでしたので、この盾に槍が刺さり、しかも軸が折れて再利用できなくなれば盾が邪魔で捨てるか、ハンデを背負って使い続けるかの2択となります。この辺りはmiyakoitiitiさんが言及されている通りです。
      そのあとはローマ軍団お得意の近接戦闘でガリア・ゲルマン人を蹂躙していくので、槍に一定以上の威力は求めていないのでしょう。弓などの長距離戦闘、および援護射撃は東方出身の補助兵に任せたのだと思います。
      もっとも、そのローマ軍団兵も帝国末期には長さ11インチとか1フィート(30センチくらい)の投げ矢(ダーツ)を複数本装備して近接戦闘に使用するスタイルに変化したそうです。
      あと、攻城兵器としての弩(いしゆみ)はローマ軍団も普通に使っていました。「バリスタ ローマ」でググってください。「バリスタ」だけだとコーヒーが出ます(笑)
      あと、toguy_shisaiさんがおっしゃっているローマ軍団兵による投槍器(スピアスローワー)の使用は、手持ちの資料では確認できませんでした。ただ、使っていないと断定できるほど詳しくも無いので一応置いておきます。

      削除
  4. アイテムボックスとか四次元ポケットがいかにチートかよくわかるね

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