【フランスの歴史】 ナポレオン皇帝「余の凄さは兵士の士気が高く、兵力の移動と集中がすごかったからである!」
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公開日: Thursday, March 12, 2015 フランス 歴史
★項目別 | 歴史・戦争 | ナポレオン |
ナポレオン皇帝「余の凄さは兵士の士気が高く、兵力の移動と集中がすごかったからである!」 | 2015/3/6 | ||||
ユリアン(´・ω・`)提督、ナポレオン皇帝ってチートですよね。 兵力分散、兵力集中、戦場の選択がうますぎますよ。 ヤン(´・ω・`)そりゃ、ラインハルト皇帝の元ネタになった人物だからね。 チートなのは当たり前だよ、ユリアン。 ユリアン(´・ω・`)ところで、ラインハルト皇帝とナポレオン皇帝だったら、どっちが有能なんですか? ヤン(´・ω・`)……ラインハルト皇帝さ。たぶん。 でも健康の面で見れば、ナポレオン皇帝の方が優位だね。 ラインハルトは20代で死んだけど、ナポレオンは50代まで生きているのさ。 銀河英雄伝説のキャラ☝
ラインハルト(´・ω・`) なんだこのチートオリ主は! 貧乏貴族の身分で、民主主義の政体で皇帝に成り上がっただとっ!? キルヒアイス(´・ω・`)ラインハルト様の元ネタ偉人なだけあって凄いですね。 |
ナポレオンの場合はタレーランがきれいさっぱり後始末してくれたけど、ラインハルトの方はなあ…
ReplyDeletehttp://ja.wikipedia.org/wiki/シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール#.E7.94.9F.E6.B6.AF
Delete1803年、ナポレオンの指示でサントル地方のヴァランセ城 (fr) を購入・所有し、外賓の接待に使用した。ナポレオンの皇帝就任後は侍従長も兼ねたが、ヨーロッパ列強の勢力均衡を図ろうとする彼の考えと、ナポレオンのヨーロッパ支配の拡大戦略とは相容れず、1807年に外相を辞任。帝国顕官(フランス語版)副大選挙人、元老院議員に就くも、ジョゼフ・フーシェとともにナポレオンの失脚を計画した。
1814年にナポレオンが失脚すると、連合国に請われて臨時政府の代表となり、ルイ18世の即位後は再びフランスの外務大臣となり、ウィーン会議に出席した。この会議では、正統主義を唱えて列強の利害対立を利用し、巧みな外交手腕でフランスの国益を守った。1815年にナポレオンの百日天下のあと、一時首相となったが、過激王党派にフランス革命期の政治活動を非難され失脚した。
1830年の7月革命ではルイ・フィリップの即位に貢献し、この年から1834年までイギリス大使を勤めた。1838年、肺壊疽により死亡。
(´・ω・`)人材に恵まれておるのぅ。
ラインハルトはチートになる為の下地があったからこそチートになれた。
ReplyDeleteナポレオンは自分でチートの下地を作ってチートになったという印象。
有能差的にもナポレオンには勝ててない気がする。長生きできず次への引継ぎも殆ど出来てないのもマイナス。
ラインハルト(´・ω・`)ゆ、有能なヒルダ皇后がいるから大丈夫なのだ。
Delete貴族社会で皇后一人で貴族たちが言うこと聞いてくれる気がしない・・・
Delete周りから男の皇帝が必要って迫られて再婚させられるor皇后から下ろされて権限取られる未来が見える
ナポレオンは自分の強みがどこにあるかを理解しきっていなかったようにも思う。
ReplyDeleteもちろん本人の天才的戦術才能もそうなんだけど、それと同じくらい大事なのは自分の戦術を忠実に齟齬無くこなしてくれる子飼いの将校たちがいたからこそ。
この辺り、完全に意識して集めたわけでなさそうなのがのちのちの、戦場ごとに負荷をかけすぎて一人また一人とその将校たちを失っていって、それが元で敗北につながったというのが、ね。
ロシア遠征の失敗もそらあ冬将軍もそうだけど、将校欠損による統制の欠如も一因でございます。
まあ、あくまで手足として有能だった、なので結局参謀団を作り上げてナポたんの天才に対抗した大陸軍に負けてしまったわけですが。
ある意味最後の天才的「将軍」、だったのかも。 以降は「有能な将帥」しかいなくなるし。
(´・ω・`)まさにナポレオンの心境は、身体が複数欲しい状態。
Deleteナポレオン(´・ω・`)身体が複数欲しい。戦争しすぎて身体が足りん。
参謀団(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)俺達の方が有利やで?頭の良いやつ集めて戦争やってるからな!
そもそも、ナポレオンの分進合撃って、時間通りに予定の地点に兵力を連れてきてくれる有能な将軍がいることが前提だからね。この、「時間通りに予定の地点に兵力を連れてきてくれる」ってことが、いかに難しいことか。
Delete「余が真の栄光とするものは、軍事上の勝利ではなくこの民法典である」
ReplyDelete実は結構内政チートの人でもある。